あれから9か月ー脱毛そして帽子難民の巻ー

帽子難民

看護師さんの予言通りに、髪は抜けた。昔見た「四谷怪談」のお岩さんのように。あの映像は衝撃的だったが、自分の手のひらにも同じくらいの量の髪の毛が・・・髪が抜けて気づいたこと。「髪ってたくさんあるんだな」そして、髪が抜けることは頭にとってもつらいことらしくて、湿疹がたくさんできて、真っ赤になった。かゆいし、夏場だから汗もかくしで、ぜんぶ抜けてさっぱりするまでは大変だった。

ひとつだけいいこと。お風呂に入るのが簡単にな😀😀

 

髪がなくなると頭になにか必要になる。帽子とウィッグ。帽子選びは難しかった。いろんなのを買った。

はじめは、「キスマイライフ」というところのおしゃれなスカーフ帽子。モデルさんたちが素敵で楽しい帽子ライフが送れそうと思って。でも夏から秋には意外と暑くて、それに素敵過ぎちゃって外に行くにはちょっとMISIAみたいになっちゃう。

で、次はサマーニットみたいの。これは涼しくてよかった。でも、洗濯していくと伸びてきちゃって、鼻の下くらいまですっぽりしちゃう。(私は頭が小さい)

その次は、ココロというところの綿素材の帽子。頭の後ろに結べるひもがついていて絞って縛ることができ、これが一番よかった。

夏の暑い間、夜寝るときにも律儀にかぶっていて、夜中にふと目が覚めて暑いなーと思い、そうだ帽子とっちゃえ、ぽーんと投げ捨てたときのさっぱりしたこと。

ということで、夏用の帽子だけで10個くらい買った。

夏に帽子であちこちさまよったので、冬用はうまく買えた。といっても、ココロの冬用素材のを買っただけなんだけどね。

 

 

初めての抗がん剤、どきどき

 2度目の入院をした。

 抗がん剤を始めるためだ。

 体力もあり、体の状態がいいので、国立がんセンターの先生も薦めていた、一番効果のある標準治療の2種類の抗がん剤からはじめることになった。

 

 薬剤師さんが来て、がん専門の看護師さんが来て説明をしていく。「気持ちが悪くなる」というのが抗がん剤の副作用のメジャーな認識だが、話を聞くといろんな副作用がある。薬によっても違うし、人によっても違う。出てくる時期も様々で、体力があると違うというものでもないらしい。看護師さんはカレンダーを指さしながら、この日あたりから脱毛が始まりますと予言した。その姿は、魔女か占い師のように見えた。

 

 最初に制吐剤の点滴から始める。今までの入院の時にも点滴は何度もしたが、そのときとは看護師さんの緊張度が全く違う。ゴーグルや手袋、エプロンまでして物々しい雰囲気。あとで聞いたところによると、抗がん剤は強い薬で皮膚につくと細胞を破壊?するのだとか。そんな強い薬を体の中に入れるなんて・・こわい。

 2種類の抗がん剤を30分くらいで入れていく。緊張の度合いとはうらはらに、点滴そのものはあっという間に終わり、体調にも変化はない。噂に聞いてびびっていた気持ち悪さも全くなく、制吐剤の進化はすごいと思う。

 

 数日様子を見て、大丈夫なら退院できるのかと思っていたら、主治医の先生が、来週もう一回打って、帰りましょう、ニッコリ、としたせいで来週まで入院になる。

 体調に変化はなく、治療もないので、なんにもすることがない。今回は図書館にまで行って、本を借りてきたので本を読みまくる。最近、Netflixばかり見ていたので、こんなに本を読むのも久しぶりだ。

 

 斎藤一人さんの本を読む。明るい気持ちになる。一人さんの教え。

 「まぁ、いいか」「どうでもいい、どっちでもいい、どうせうまくいくから」

「なんとかなる」「波動の法則→明るくて楽しい波動は強運を呼ぶ」「引き寄せの法則」「みんな深刻に受け止めすぎ。もっとシンプルにまあ、いいかって受け止める」

 

 2度目の抗がん剤も、目立った副作用もなく過ぎたので約10日で退院になる。

世の中は、どんどん暑くなっている。私は、病気で危険だけど、元気な人もすぐ身近に大きな危険があるように思う。

2度のセカンドオピニオン

セカンドオピニオンで学んだこと

 主治医の先生からも薦められて、セカンドオピニオンに行ってみることにする。

 私の場合は、胆肝膵内科・胆肝膵外科というところ。

 国立がん研究センター中央病院に行くことになった。

 内科と外科、両方にしたのは、最終的な見立ては同じでも内科と外科は病気へのアプローチが違うから、見るものも違うのではないかということから。

 退院得ごと言うこともあり、内科へは家族のみで行ってもらった。

 内科の先生の見立てはほぼ主治医の先生と同じ。がんが血管周辺にあり、切除は難しい。抗がん剤を始めることがのぞましい。

 外科の先生の時には、体力も回復していたし、家族と一緒に行く。

 セカンドオピニオンは一件約1時間。非常に丁寧に見て、こちらの質問にも答えてくれる。

 膵嚢胞の検診でずっとMRIを撮っていたにもかかわらず、がんがわからなかったことについても、「これを発見するのは難しい。今は、あると思ってみるから見えるけど、なにもなければ気づかない可能性が高い」といわれた。がん研の先生が見てそうならもう仕方ないかと思えた。

どっちでもいいおしゃべりもずいぶんしたけれど、その中で言われた言葉。

「元気なら働くのがいいよ。外に出ている人の方がずっと元気だから。

 なんでもいいと思ったことをやればいいんだよ。温泉でも、畑でかかしになって立っているのでも。パワーがもらえるものならなんでもやったらいい。

 寝ていて治る病気じゃないからね!!

 何でもやりたいことをやって、好きなように生活すればいいんだよ!」

 この言葉を聞いただけでも、セカンドオピニオンに行った甲斐があった。

 

 2度セカンドオピニオンにいったが、病状に対する見立ては変わらなかった。ただ、セカンドオピニオンに行ったことで、現在の主治医の先生の見立てへの信頼は持てたし、治療に対する前向きな気持ちと勇気も出せたように思う。

 

 ちなみにセカンドオピニオン一回40,000円(税込み44,000円)

 私は2回行ったので、88,000円 これはなかなかの出費だ! 

心と生活の整理の一週間

退院から次の入院までの1週間

 黄疸もきれいになったので、一度退院することになった。

 次に入院するのは1週間後。この1週間は忙しい。

 今まで、フラのために伸ばしていた髪をばっさり切ることにした。記念に後ろ姿の写真を撮った。何十年と通っていた、美容室とお別れかと思うと悲しい。

 半年に一度くらいのペースで会う友達にあった。死ぬほどの大病をしたことのある友達は死生観に通じるところがあって、長生きすることだけが幸せでもないと思えた。

 大病で入院していたとき、一度心臓が止まったという話の中で、ふっと眠ってしまって、そのときに心臓が止まったらしいという話を聞いて、死ぬってそんな感じなのかと思って、安心した。

 そういえば、がん専門のお医者さんの話の中にも書いてあった。がんで死ぬときは、苦しくありません。緩和ケアも十分にあって、痛みや苦しさは取り除くことができます。七転八倒のたうち回ってなんてことは、勘違いです、って。

 フラのレッスンに行った。楽しく踊って、おしゃべりをして最高の時間を過ごした。

 病気の話をした。オハナ(家族の意味)はつよい支えになる。みんな、大丈夫だよ、根拠はないけど絶対大丈夫というつよい言葉を何度も言ってくれる。

 ウクレレも弾きに行く。今までの暗い時間から引き離されたような別世界の気分になる。

 セカンドオピニオンに行く。

 高額ウィッグを作り行く。看護師さんが、絶対に脱毛しますって予言するんだもん。

 

 こうして慌ただしい1週間が過ぎ、抗がん剤治療のための2度目の入院になった。

病室の窓から、流れる雲を眺めてー入院中の思いー

告知から退院まで

 主治医の先生から家族への説明のあと、病室に戻ると夕食が来ていた。

 あたりまえだけど、食べられないよね。

 

 看護師さんが何度も様子を見に来る。

 朝も、大丈夫でしたか?、眠れましたか?と聞く。なんて、無意味な質問。大丈夫なわけないし、気持ちよく眠れる訳もない。いったい、どういう答えを期待しているのだろう。

 大丈夫です、と答えれば「強いですね」と言われる。じゃ、あなただったらどうするの?つらいです、と言えば、そうですよね、あなたは一人じゃないですよ、何でも言ってくださいっていってくれる。

 でも、何でもいわれても困らない?それに話せるようになるためには、自分の中で消化しないと。

 

心を修復中

 翌日から、看護師さんは、私の心を探るように接してきてくれるようになる。打ちのめされていいないか、落ち込んでいないか、いつでも、何でも言ってくださいというように。

 けれども、私は怒濤の展開に全く心はついて行かず、どこか人ごとのように、自分のことを眺めている日々が続いた。

 これは、わたしにとってはよかったのかもしれない。なんだかわからないまま衝撃的な事実がやってきて、自分のことではないような気がしながら、事実が心の中にしみこんでいくような感じ。取り乱したり、泣き叫んだりは私には向いてない。

 看護師さんには暗い顔、大丈夫ですかと聞くのはやめてください。大丈夫でなければ言います。それよりも、私のベッドに来たら、面白い話、明るい話をしてほしいと伝える。

 厳しい病状を考えてみても、まだ何も始まっていないし、検索してみても、あるところから先は個人差が大きく、考えてみても疲れるだけになってくる。

 だから、次のことをとりあえず決める。

 ★まず、笑う。

 ★免疫力を高める。

 ★長生きする、元気でいると決める。

 

 点滴もとれ、食事も始まり、黄疸もきれいになってきたので、運動をかねてシャワーを毎日浴びる。心身共にダメージが大きかったので、ずいぶん痩せている。

大丈夫を明日につなげる

入院

 いつ終わるかわからない長い診察の翌日、私は入院した。

 私の顔を見た看護師さんからは「かなり黄色いですね」という言葉が。

 まったく気づかなかった。毎日、顔も体も見ているのに。言われて、鏡を見ると、確かに黄色い。でも、黄色人種だし、気づきにくいよね。夫からも、同僚からも黄色いなんて言われなかったし。ということは、みんな、人の顔なんてたいして見ていないってことなのよね。

 

 次の日、内視鏡的逆行性膵胆管造影(ERCP)という検査&治療を行った。十二指腸まで内視鏡を入れて、X線撮影を行うとともに、黄疸解決のためのステントを胆管に入れるのだ。

 これが、本当に苦しい検査だった。私の検査人生の中でトップ3に入る。(あとで、別のお医者さんに話したところ、あれは一番苦しいと思うって)

 次回この検査をするときにはぜったいに全身麻酔でやってもらいたいと、あとで主治医の先生に会ったときに激しく訴えた。

(実際には、全身麻酔で検査はしないらしい)

 

 ERCPは合併症のリスクもあるので、血液検査をしたりして経過観察しながら、抗生物質の点滴が続く。絶食だし。状態が良ければ、重湯から始まってだんだんと普通食になる。

 こうして黄疸が改善するのを待ちながら、入院生活は静かに過ぎていった。

 黄疸がある、がんである可能性、あたりまえだけど、ついネットで検索しちゃう。でもネットって、無責任な話、その人に特化した話、よくわからい希望を持たせる話であふれてるのね。それから考えたくない現実をつきつけられる話。心も頭も疲れ、Netflixに逃げ込む日々に戻る。

 

 検査から五日目。

 夜、主治医の先生が来て、ほぼすい臓がんだろうと言われる。こういうことって、ベットサイドで言うことなのかなあ。ちょっとずつ言われると、免疫がつくから?

 手術できるかどうか、外科の先生に相談中。

 

検査から10日目ー衝撃的な話ー

 最終的な検査結果、治療方針について、主治医の先生から家族への説明がある。

 

 やはりすい臓がん。血管に絡んでいて手術は難しい。現時点では転移はない。局所限定進行がんというものらしい。とりあえず、すぐに抗がん剤治療をという話をされる。

 私は、病室で少しずつ心の準備をしていた。でも、家族はここまでの重い話であるとは想像もできず(私もだけど)、その衝撃はいかばかりなものか。

 

 主治医の先生からセカンドオピニオンの話があり、国立がん研究センターに行ってみることにして、家族は帰っていった。

 どんな夜を過ごすのか、気に掛かる。

 

 

 

大丈夫を明日につなげる

《はじめに》

 大きな病気をしたことのない私が、「すい臓がん」という病気になって、はじめて「限りある命」というものを考えた。今までだって、哲学的な本を読んだり、人生の意味について考えたり、どう生きるかについて考えていた。でも、それらは、全部「考えているつもり」だった。

 私は、なんにもわかってなかったし、なんにも考えてなかった。

 だから、今の私が考えたことを書いてみたい。

 この病気になってから知り合った「がん」の専門医の先生(主治医ではない)が教えてくれた。

 「がんになると、みなさん命について考える。そうして、がんになったひとは、一気に人として最も高いところに成長するんですよ。それは、突然死してしまったら到達できない境地です。」

始まり

がんが見つかった。それも、すい臓がん。

 昨日までは、病気もない普通の人だった。

 数日気持ちの悪い日が続き、かかりつけのお医者さんに3回ほど行き、突然「紹介状書くから、明日すぐ総合病院へ行きなさい。」

 そして翌日。朝9時に始まった受診はずった続いた。

 血液検査の結果を見た総合内科の先生が、「造影CTもやりましょう」と言い、消化器内科の先生にまわされ、待つこと2時間。

 やっと入った診察室で消化器内科の先生に「胆管が狭くなっていて黄疸が出ている。その原因は、おそらくがんではないかと思う。すい頭部という場所。」と告げられた。

(そんな衝撃的なことを普通に言っちゃうの?)

 

 そんなばかな・・3か月前にはすい嚢胞の検査でMRIを、先月には人間ドックを受けて、どちらも異常なしだったのに。あれは何だったの?

(用心深い性格の私は、いろんな検査をちゃんと受けてるのよ)

 消化器内科の先生に食い下がるも、見つからなかった可能性もあるし、急に大きくなることもあるから、という答え。とにかく、すぐに入院、治療開始ということになった。

 こうして長い受診の一日は終わった。夕方6時だった。

 職場に寄り、明日からの休暇を願い出て、驚く同僚を尻目に家に帰った。

(こっちだってめちゃくちゃ驚いてるわい)

 家に帰り、明日から入院することを話すが、「がん」という言葉は怖くて口にできなかった。