告知から退院まで
主治医の先生から家族への説明のあと、病室に戻ると夕食が来ていた。
あたりまえだけど、食べられないよね。
看護師さんが何度も様子を見に来る。
朝も、大丈夫でしたか?、眠れましたか?と聞く。なんて、無意味な質問。大丈夫なわけないし、気持ちよく眠れる訳もない。いったい、どういう答えを期待しているのだろう。
大丈夫です、と答えれば「強いですね」と言われる。じゃ、あなただったらどうするの?つらいです、と言えば、そうですよね、あなたは一人じゃないですよ、何でも言ってくださいっていってくれる。
でも、何でもいわれても困らない?それに話せるようになるためには、自分の中で消化しないと。
心を修復中
翌日から、看護師さんは、私の心を探るように接してきてくれるようになる。打ちのめされていいないか、落ち込んでいないか、いつでも、何でも言ってくださいというように。
けれども、私は怒濤の展開に全く心はついて行かず、どこか人ごとのように、自分のことを眺めている日々が続いた。
これは、わたしにとってはよかったのかもしれない。なんだかわからないまま衝撃的な事実がやってきて、自分のことではないような気がしながら、事実が心の中にしみこんでいくような感じ。取り乱したり、泣き叫んだりは私には向いてない。
看護師さんには暗い顔、大丈夫ですかと聞くのはやめてください。大丈夫でなければ言います。それよりも、私のベッドに来たら、面白い話、明るい話をしてほしいと伝える。
厳しい病状を考えてみても、まだ何も始まっていないし、検索してみても、あるところから先は個人差が大きく、考えてみても疲れるだけになってくる。
だから、次のことをとりあえず決める。
★まず、笑う。
★免疫力を高める。
★長生きする、元気でいると決める。
点滴もとれ、食事も始まり、黄疸もきれいになってきたので、運動をかねてシャワーを毎日浴びる。心身共にダメージが大きかったので、ずいぶん痩せている。